北海道日本ハムファイターズのスラッガー、清宮幸太郎(きよみや こうたろう)選手の弟、清宮福太郎(きよみや ふくたろう)。
彼もまた、早稲田実業、そして早稲田大学という王道を歩みながら、兄とは異なる野球人生を選び抜いてきました。
今回は“フクちゃん”の名で親しまれる彼の歩みを、ディープに、そして愛情たっぷりに掘り下げます!
清宮幸太郎の弟 「清宮福太郎」の基本プロフィール

提供元:日刊スポーツ
清宮福太郎、愛称“フクちゃん”。
日本ハムのスター清宮幸太郎の弟として生まれながら、自らのスタイルを築くことに徹してきました。
早稲田大学社会科学部の4年生であり、東京六大学野球の名門、早稲田大学野球部の一員です。
背番号は兄と同じ「21」。
この背番号を兄弟で背負うという偶然は、まさに“幸福兄弟”の絆を象徴するものです。
また、身長182cm・体重95kgという恵まれた体格は、まさに野球向き。
右投右打の外野手として、パワフルなバッティングを武器に、チームを陰で支えてきました。
兄・幸太郎が注目された左の大砲なら、弟・福太郎は力強い右のスラッガー。
兄弟でもスタイルは全く異なります。
親として野球を頑張る息子を見守っていると、「兄弟で同じスポーツをしてる子たちって、やっぱり比較されるよなぁ…」とつくづく感じます。
清宮福太郎選手が“フクちゃん”と呼ばれて親しまれながらも、ずっと兄・幸太郎と比較されてきたことは、想像する以上に大変だったでしょう。
しかし、それでも彼が“右打ち”という自分の武器にこだわり、自分の道を信じて進んできた姿には、同じ父親として胸が熱くなります。
我が子が目標に向かってコツコツ努力する姿を見て、「結果じゃない、プロセスだ」と教えられた気がします。
福太郎くん、これからも応援してるぞ!
清宮幸太郎の弟 小・中・高と歩んだ野球エリート街道
まず、小学生時代のフクちゃんは、東京北砂リトルリーグに所属し、リトルリーグワールドシリーズでなんと世界一に!
特に準々決勝のメキシコ戦での代打ホームランは、小学生とは思えない勝負強さを感じさせます。
そして中学では、兄と同じく調布シニアへ。
そこで守備位置をファーストから投手に広げるなど、多彩な才能を発揮しました。
最速130km/hのストレートを武器に、地道に努力を重ねていきます。
さらに進学したのは、兄と同じ野球の名門・早稲田実業。1年生の夏からベンチ入りを果たし、背番号19を背負いました。
これは兄・幸太郎が1年生時に背負った番号と同じで、ここにも兄弟の絆を感じさせます。
うちの息子も小学校のクラブチームから中学の硬式チームへ進んだばかりですが、レベルが上がるたびに「自分には無理かも…」と不安そうな顔をするんですよね。
でも、清宮福太郎選手のように、ステージが変わっても地道にコツコツ挑戦する姿勢は、まさに我が子に見せたいお手本です。
しかも、兄と同じ道をたどる中でも、ただの“コピー”ではなく、自分らしさを大事にしてる。
その姿勢には感動です。
親としても、「結果だけじゃなく、成長そのものを見守ってやろう」と改めて思わされました。
清宮幸太郎の弟 甲子園出場を逃した高校時代の涙と葛藤
兄・幸太郎が1年夏から甲子園で注目された一方で、福太郎の高校3年間は、決して華やかなものではありませんでした。
特に3年夏の最後の大会、西東京大会5回戦で敗れ、甲子園の土を踏む夢は叶いませんでした。
それでも、1年生からベンチ入りし、2年生で主将に就任。
コロナ禍の中、仲間を鼓舞しながらチームを牽引してきた姿には、多くの野球ファンが心を動かされました。
本人が残した「自分たちがこんなに弱いとは…」という言葉には、責任感と悔しさが滲んでいました。
甲子園を夢見ていた息子が負けた帰り道、泣いていたことを思い出しました。
清宮福太郎くんのように、どれだけ真剣に取り組んでいても、結果が伴わないことってありますよね。でも、その涙の分だけ成長してくれると信じてます。
勝つだけがスポーツじゃない。
負けを知ることで、人間としての器が広がる。福太郎くんの姿に、「この子はきっとどこかで大成する」と確信しました。
甲子園に出られなかったからこそ語れる価値が、彼にはある。
清宮幸太郎の弟 大学野球での挑戦
高校卒業後、福太郎は早稲田大学社会科学部に進学。迷いなく「プロは考えていない。大学で成長したい」と語ったその言葉に、彼の堅実で真面目な性格がにじみ出ている。
大学でも野球部に所属し、2025年4月、ついに東京六大学リーグ戦に初出場。
ここでも「代打での出場」が中心ではあったが、腐ることなく、じっくりと己を磨いてきた。
結果として、春季リーグの成績は2試合出場、打率.000。
結果だけを見れば厳しい数字かもしれない。
でも、3年間ベンチに座り続けた男が、最後の年に“ようやく掴んだ打席”というストーリーは、それだけで胸を打つ。
「大学しか考えていなかった」と語った福太郎の道は、たしかに狭く、険しい。
それでも、自分のペースで着実に歩んできた彼の姿勢は、未来を見据える野球少年たちにとって最高の“お手本”となるだろう。
息子に「野球やめたい」と言われたとき、私は清宮福太郎くんの大学時代の話をしました。
「打てなかったからこそ、掴んだものがある。ベンチだったからこそ、見えた景色がある。地道に努力した人の背中はかっこいい」ってね。
今の時代、SNSでもなんでも結果が求められがち。
でも、本当に価値があるのは“プロセス”だと私は思います。福太郎くんが大学で見せてくれたのは、まさにその姿でした。
派手な活躍がなくても、コツコツ努力を続け、チームの一員として汗を流す。
親として、そんな選手を息子に見せられることに、感謝しかありません。
清宮幸太郎の弟 家族と兄弟の絆
“幸福兄弟”と呼ばれる幸太郎と福太郎。
実はこの名前、父・克幸氏が「家族が幸福になるように」との願いを込めて名付けたものだという。
父は元ラグビー日本代表監督、母は慶應ゴルフ部主将。
まさにスポーツエリート一家の中で育ち、幼い頃から高い期待とプレッシャーに囲まれていた。
それでも、兄弟は互いを尊敬し合い、支え合ってきた。
福太郎は「お兄ちゃんにできないことをしたい」と語り、自分だけの色を探してきた。
一方で幸太郎も、「弟が頑張ってるから俺も頑張る」と互いに刺激を受けてきたという。
血のつながり以上の絆、スポーツという共通言語を持った兄弟だからこその関係性。
これは多くの兄弟選手にもない、清宮家ならではの“強さ”なのかもしれない。
家族って、強いですよね。
特に兄弟が同じスポーツをやってると、ライバルであり味方でもある。
わたしの息子たちもキャッチボールをしていると、時にぶつかり、時に笑い合い、親の私が泣きそうになる瞬間があります。
福太郎くんと幸太郎くんの“幸福兄弟”の関係は、まさに理想。
競争の中にある尊敬と、努力の中にある愛情が詰まってるんです。
こういう兄弟がいる家庭って、野球だけじゃなく、人間力も育ちますよね。
そんな視点で、清宮家には学ぶことが本当に多いです。
清宮幸太郎の弟 兄との比較と独自性
福太郎選手の野球人生を語る上で、どうしても避けて通れないのが兄・清宮幸太郎選手との比較だ。
プロ入り後も注目を集める“キング幸太郎”の弟という宿命は、常に重くのしかかっていたに違いない。
しかし、福太郎選手はそのプレッシャーを真正面から受け止め、着実に自分のスタイルを築いてきた。
まず打席のスタンスひとつを取っても違いがある。
兄が左打ちであったのに対し、福太郎選手は右打ちにこだわった。
この“逆張り”こそ、彼の中にある「お兄ちゃんにできないことをしたい」という強い意志の現れだ。
また、体格面でも若干の違いが見られる。兄の184cm・102kgに対し、福太郎選手は182cm・95kg。
数字上ではわずかな差だが、その分、柔軟性やスピードへの意識も高かった。
中学時代には投手もこなしていたことから、守備範囲の広さや運動神経の高さも注目に値する。
性格面でもまた一味違う。
兄が天性のスターとしてのんびりした雰囲気を漂わせていたのに対し、福太郎選手は「負けず嫌い」で有名。
試合中に自分に対して怒りをぶつける姿も見られるほど、内に秘めた闘志は兄以上かもしれない。
それでも、彼は“清宮幸太郎の弟”という看板から逃げることなく、真っすぐな視線で「自分の野球」を追い求めてきた。
そうした彼の姿にこそ、スポーツマンとしての真の輝きがある。
兄弟って、比較されることが運命みたいなところがありますよね。
特に、兄が“甲子園の怪物”と称され、プロ野球の世界で戦っているとあれば、弟としてはどれだけ大変な思いをしてきたか…。
親としても、つい上の子と下の子を比べてしまいそうになりますが、それがどれほど子どもの自我に影響するか、改めて考えさせられました。
それでも福太郎くんは、右打ちという独自の道を選び、自分だけのプレースタイルを築こうとしてきました。
それは、逃げではなく挑戦。これは並大抵の精神力じゃできないことです。
うちの息子も野球をしていて、「〇〇くんのお兄ちゃんはすごいよね」なんて声をよく耳にします。
でも、福太郎くんのように「自分だけの野球」を貫こうとする姿を見ると、比べる必要なんてないって思えます。
大事なのは、自分にしかできないプレー、自分らしい努力なんですよね。
福太郎くん、本当にすごい。あなたのような選手が、子どもたちの新しいロールモデルになってくれることを、心から願っています。
現在の状況と将来展望
2025年現在、福太郎選手は早稲田大学4年生。
最終学年を迎え、大学野球生活もいよいよラストスパートだ。これまで代打中心だったが、東京六大学の大舞台に立った経験は、きっとこれからの人生にも大きな糧となるだろう。
福太郎選手自身は「チームが春秋連覇、そして日本一を取ることが何としても達成したいこと」と語っている。
プロ入りに対してはまだ明確な意思表示をしていないものの、ドラフト候補として名前が挙がっていることも事実だ。
特にその打撃力とスター性は、プロの世界でも通用する可能性を秘めている。
ただし、リーグ戦での出場機会が限られていたことから、即戦力として評価されるかどうかは未知数だ。
しかしそれでも、「清宮福太郎」という名前が持つ魅力と、積み上げてきた努力は、多くの人の心に届いている。
たとえプロ野球選手にならなかったとしても、福太郎選手の歩んできた道は、無数の野球少年に希望を与える“もう一つの成功の形”だ。
甲子園に出られなくても、プロにすぐなれなくても、「努力と継続」が人生を彩る武器になることを、彼は私たちに教えてくれている。
最後まで読みながら、思わず胸が熱くなってしまいました。
福太郎くんの野球人生は、成功や結果では語りきれない「人間としての成長物語」そのものだと思います。
甲子園に出られなかったっていい。リーグ戦にあまり出られなかったっていい。
自分のペースで、自分の信じる道を歩いてきたその姿勢こそ、僕ら親にとっても、そして子どもたちにとっても最高の学びです。
野球少年を持つ親として、「子どもには清宮福太郎のように育ってほしい」と心から思います。スターの兄を持ちながら、自分の影を追うのではなく、自分の光を探す――それって本当にすごいこと。
福太郎くん、ありがとう。君のこれからの未来が、さらに輝くものであることを祈っています。あなたの物語は、まだまだこれからだ!
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