広瀬隆太の父親と兄とは?家族が育てた慶応一筋プロ野球選手の原点

福岡ソフトバンクホークスに所属する内野手・広瀬隆太選手。
彼は慶應義塾大学からプロ入りした注目の若手であり、守備の堅実さとバットコントロールに定評のある選手です。

そんな彼の成長の裏側には、家族の深い支えがあります。
今回は特に「父親」と「兄」との関係に注目し、彼の人間的な魅力を掘り下げていきます。

父はラグビー経験者、でも息子の夢を全力で応援した

福岡ソフトバンクホークスの内野手、広瀬隆太選手
守備力に定評があり、安定したバッティングも魅力の若手選手として注目されています。

そんな彼の原点には、「父とのキャッチボール」があります。

広瀬選手の父・廣瀬崇(たかし)さんは、実はラグビー経験者。野球とはまったく違う競技に情熱を注いでいた方です。
にもかかわらず、野球に興味を持ち始めた幼い隆太少年に寄り添い、キャッチボールやバッティングセンターでの時間を一緒に過ごしてくれました。

野球経験はゼロ。でも、息子の「やりたい」という気持ちを一番に尊重し、全力で応援する――それが父・崇さんのスタンスだったのです。

「やったことはないけど、一緒にやってみよう」
そんな言葉に支えられながら、広瀬選手は白球を追う楽しさを知っていきました。

兄の背中を追いかけて育った少年時代

もう一人、広瀬隆太選手に大きな影響を与えた人物がいます。
それが、3歳年上の兄・太一さんです。

母・美奈子さんは当時を振り返り、「隆太はいつもお兄ちゃんの背中を追いかけていた」と語ります。
兄が野球を始めたのを見て、自分もやりたくなり、同じ少年野球チームに入団。
家族でバッティングセンターに行ったり、兄弟でキャッチボールをしたり…その日常が、彼の“野球の土台”を作っていきました。

兄の存在は、良きライバルでもあり、目標でもありました。

「いつか兄を超えたい」
「もっと上手くなりたい」
そんな想いが、彼の中に自然と芽生えていったのです。

幼稚舎から始まった「慶應のユニフォーム」への憧れ

広瀬隆太選手は、慶應義塾幼稚舎の1年生で野球を始めました。
小学5年生の時に「KEIO」のユニフォームに初めて袖を通し、そこから慶應一筋の野球人生がスタートします。

幼少期から神宮球場での早慶戦を観に行き、慶應の選手が活躍する姿を見て「自分もあの舞台に立ちたい」と憧れたそうです。

その夢を叶えるために、広瀬選手は中学で強豪クラブ「世田谷西リトルシニア」に入団。全国トップクラスの環境で自らを鍛えながら、技術もメンタルもレベルアップしていきました。

高校・大学と進学しても慶應の道を貫き、ついには慶應義塾大学野球部の中心選手へと成長。
あの神宮の舞台に、自らのプレーで立ち、夢を実現させたのです。

父から受け継いだ体と心、兄から学んだ挑戦心

父・崇さんがラグビーで培った体格や運動能力は、広瀬選手にも色濃く受け継がれています。
しかし、それ以上に大きかったのは「挑戦を恐れないメンタル」や「本気で取り組む姿勢」といった、スポーツマンとしての根本的なスタンスです。

野球を教えられなくても、努力の大切さを教えてくれた父
隣で一緒に成長し、競い合いながら育ってきた兄の存在

この2人がいなければ、今の広瀬隆太は存在しなかったと言っても過言ではありません。

プロという厳しい世界でも、彼の「ぶれない心」や「努力を積み重ねる力」は、まさに家族の影響そのもの

フィジカル・メンタルともに、強くしなやかな選手へと育った背景には、家族との絆があるのでしょうね。

プロでの活躍にもにじむ、家族への感謝

2025年現在、広瀬隆太選手はプロ2年目を迎えています。
開幕は二軍スタートでしたが、打率.293としっかり結果を残し、4月には一軍へ再昇格。これからの活躍に期待が高まっています。

しかし、どんな場面でも彼のプレーには地に足のついた落ち着きが感じられます。
それはきっと、どんなときでも応援し続けてくれた家族の存在が、彼の中で大きな支えになっているから。

父・兄・母――
決して派手ではないけれど、どこまでも暖かい支えが、広瀬隆太の野球人生を形づくってきたのでしょうね。

夢の始まりは、ただのキャッチボールでした。
そこから始まった物語が、今ではプロ野球の舞台で続いています。

これからの活躍にも、ぜひ注目してください。
彼のプレーの奥に、いつも「家族の絆」が感じられるはずです。

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