“ルイくん”の愛称で親しまれる楽天イーグルスの宗山塁(むねやま るい)選手。
高校時代の成績、同級生との絆、そしてプロ野球選手として羽ばたくまでの道のりには、多くのファンが心を奪われます。
広陵高校という名門校で磨かれた実力と人間性、2024年ドラフトでの競合指名に至る背景──。
この記事では、「宗山塁 成績 高校 同級生 ドラフト」というキーワードを軸に、彼の魅力をたっぷりお届けします!
宗山塁の高校時代の成績がすごい!
宗山塁ありがとう😭
楽天ファンの総意です
(クソデカ主語)#RakutenEagles pic.twitter.com/PwbCsebnyA
— BowzBlack(たまくろぼうず) (@BowzBlack) May 27, 2025
宗山塁選手が広陵高校に進学したのは、父の母校であり地元広島の名門という理由だけではありません。
彼自身、小学生の頃から“広陵でプレーする”と決めていた強い信念がありました。
1年生の夏からベンチ入りし、2年春には甲子園のレギュラーを獲得。
打率.395をマークした秋の予選、そして中国大会では打率.500と、どの場面でも輝いていたのが印象的です。
さらに、高校通算18本塁打を記録しながらも、守備力の安定感が際立つのが宗山選手の特徴。
3年夏の県独自大会でも打率.409、5打点と攻守に渡る活躍を見せました。
神宮大会では、あの奥川恭伸投手から2安打を放つなど、大舞台でも物怖じしない強さが魅力です。
プロ注目の存在として、すでに注目を浴びていた彼の原点がここにあります。
もし自分の息子が野球少年なら、「ルイくんのように育ってほしい」と思わずにはいられません。
なぜなら宗山塁選手は、技術面だけでなく“姿勢”が素晴らしいからです。
広陵高校1年生からベンチ入りし、実績を積み上げてきた背景には、明確な目標と日々の努力があります。
高校通算18本塁打や打率.409といった数字の裏には、地道なトレーニングや試合への準備があったはずです。
指導者からの信頼も厚く、「私生活にも隙がない」と評されるその誠実さ。
現代の高校生にはなかなか見られない精神性です。
親として嬉しいのは、そういった姿をテレビ越しにでも子どもが見て感じられること。
「好きな選手は?」と聞かれたら、「宗山塁選手」と答える我が子を誇りに思うでしょう。
また、プロ入り後の成長にも注目したいですね。
体重を70kgから79kgまで増やした努力も含め、「やっぱり努力は報われるんだ」と子どもに教えてくれる最高の教材です。
宗山塁 同級生 渡部聖弥との深い絆
広陵高校時代、宗山選手と特に強い絆を持っていたのが、2024年西武ドラフト2位の渡部聖弥選手です。
【オールスター2025】24日、試合前に、広陵高校時代の同級生、西武・渡部聖弥選手と写真におさまる宗山塁選手。(撮影・水島啓輔)https://t.co/9Qx1Q9mpNq https://t.co/yIl3xycWrf #宗山塁 #渡部聖弥 pic.twitter.com/vkrd75mqep
— サンスポ×EAGLES (@Sanspo_EAGLES) July 25, 2025
同じ寮部屋で寝食を共にした2人。
朝が苦手な渡部選手を、宗山選手が毎朝起こしていたというエピソードからも、面倒見の良さが伺えます。
またポジションも、宗山がショート、渡部がサードと、鉄壁の内野コンビを形成していました。
2人の高校通算本塁打は、宗山18本、渡部30本と互いに高め合える関係性があったことも分かります。
プロ入り後もその関係は続いており、「高校時代からお互いを意識していた」とコメントしている通り、今でも刺激し合える仲間です。
まさに高校野球の醍醐味、それがこの2人には凝縮されています。
息子がもし部活をしていたとして、「あんなライバルがいたら最高だな」と思う存在が宗山塁選手にとっての渡部聖弥選手です。
単なるチームメイトではなく、互いに刺激し合いながら成長していける仲。
これは人生でもなかなか得られない“宝物”だと思います。
部屋が一緒で、寝る時間も起きる時間も共有し、グラウンドでも同じ方向を見て戦っていた関係。
特に、宗山選手が毎朝、苦手な朝の起床をサポートしていたという話に、親として胸を打たれました。
仲間に厳しくも優しくできる力
それを持っている高校生は稀です。
だからこそ、息子にも「ただの仲良しではない、真剣にぶつかり合える仲間を大切にしよう」と伝えたくなります。
高校卒業後もプロの世界で再会し、別々のチームながら互いを意識しているという姿勢もまた素晴らしい。ライバルでありながら友情がある、その構図が心に響きます。
宗山選手が「塁くん」と呼ばれ、愛される理由の一端がここにもあると感じました。
宗山塁 ドラフト1位までの決断|高校ドラフトと大学進学の選択とは
宗山選手は、高校卒業時にプロ志望届を出さず、明治大学への進学を選びました。
この決断には、2020年夏の甲子園が中止されたことが大きく影響しています。
あの“失われた夏”に対し、「その思いは間違いではないと4年前の自分に伝えたい」と語る姿からは、ただの悔しさではなく、覚悟をもって前に進んだ意志の強さが伝わってきます。
大学では体重を増やし、筋力と打球の強さも向上。
4年間で飛躍的な成長を遂げたことにより、2024年のドラフトでは5球団競合という高評価を受けました。
結果、楽天イーグルスが交渉権を獲得し、彼は夢のプロ入りを果たします。
「高校成績」だけでなく、「成長する意志」が評価されたと言っても過言ではありません。
この決断が正しかったことを、彼のプレーが証明しているのです。
高校3年生での甲子園中止──。
その瞬間は本人にとってあまりにもつらく、親でさえ何も言えなかったのではないでしょうか。
私自身も、もし我が子がその立場だったら…と考えると胸が締めつけられます。
しかし宗山塁選手は、その喪失を嘆くだけでなく、自ら成長のきっかけに変えました。
大学進学という道を選び、コツコツと体を鍛え、やがてドラフト1位という結果にたどり着いた。
まさに宗山選手の決断力や姿勢は、エクセレントそのものですよね!
野球だけでなく、どんな分野でも
「うまくいかない時にどう動くか」
が人間の本質を問われる瞬間です。
息子にとっても、宗山選手の存在は“うまくいかない時こそ未来のチャンス”を体現してくれる最高の先輩になるでしょう。
今後も彼の活躍を、家族みんなで応援したいと思っています。
宗山塁のプレースタイルとは?
宗山選手のプレースタイルは、何と言っても「守備力の安定感」が抜群です。
プロ関係者から「10年ショートは安泰」と言わしめるその守備範囲と正確性は、高校時代から光っていました。
打撃面では、18本塁打を記録しながらも、勝負強さを発揮。
チャンスで結果を出す集中力と冷静さは、“ルイくん”の代名詞とも言えます。
「どれだけ自分の力をピンチで出せるか」を大切にする姿勢こそ、野球の本質に通じています。
広陵の中井監督の教え「野球ができることに感謝を忘れるな」は、宗山選手の心に深く刻まれており、プレーにもその感謝の念が現れています。
一球一球に魂を込める姿、常にチームファーストな動き──これらが彼のプロとしての礎を築いているのです。
宗山塁選手のような一流プレーヤーに共通するもの。
それは“技術”よりも“姿勢”だと私は思います。
どんなに才能があっても、驕ることなく、支えてくれる人や環境に感謝し続ける。
その姿勢があるからこそ、結果がついてくる。中井監督の「野球ができることに感謝せよ」という教えを高校時代から持ち続けているルイくんの姿は、まさにその象徴です。
親としては、子どもに「上手くなれ」と教える前に、「感謝の心を持て」と教えたいものです。
そして、そのお手本がテレビの中にいることは、家庭教育としても非常にありがたい。
今後、宗山選手がどんな大舞台で活躍しても、その姿勢を変えず、周囲への感謝を忘れない限り、ずっと応援していきたい。
そんな気持ちにさせてくれる、誇り高きショートストップです。
宗山塁選手、これからも全力で応援しています!
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