今回の記事は福岡ソフトバンクホークスに所属する左腕投手、松本晴(まつもと・はる)選手。
巧みなスライダーと制球力で注目を集め、大学時代の大ケガから復活を遂げた根性派です。
キレのある直球とスライダーが武器の左腕。
2024年は8月18日のロッテ戦でプロ初勝利を記録でしたね!
日本シリーズではリリーフとして好投を見せるなど、前年からの成長を示した。
今季はさらなる進化を遂げ、一軍での登板機会を増やしたいものです。
そんな松本選手の原点には、支え合う家族の存在がありました。
美人と話題の母、元甲子園球児の父、そして兄との絆──その家族の物語を紐解きます。
松本晴の母親・久里さん:女優並みの美貌と笑顔が生む家庭の太陽
松本晴選手の母・松本久里さんは、その美貌とユーモアあふれる人柄で多くの人の心を惹きつける女性のようです。
福岡のテレビ番組のFBSのスポーツ番組に出演した際には「女優みたい!」と視聴者から声が上がり、SNSでも話題となってました。
本当に美人なんですよね~。
大阪出身の彼女は、明るく飾らない性格で、家庭では常に笑いを絶やさず、どんな苦境も“ネタ”として前向きに捉えるポジティブマインドの持ち主なんです。
松本晴選手が大学で大ケガを負った際も、病室で「これも笑いに変えよう」と励まし続けたそうです。
この“笑顔力”が、晴選手のメンタルの強さの根源となっているようですね。
現在、久里さんは不動産会社「リンクシステム」の取締役として活躍しつつ、家族を温かく支える存在です。
「いつも笑顔でいれば、どんな壁も乗り越えられる」——その母の言葉こそ、晴選手にとって最大の原動力なんでしょうね。
父親・吉史さんの野球愛と教育哲学が生んだ左腕エース
松本晴選手の父・松本吉史さんは、あの天理高校野球部で1983年に甲子園出場を果たした元エースだったのです。
まさに“野球の申し子”とも言える経歴を持ち、その情熱と経験を惜しみなく息子たちに注いできました。
社屋の屋上には、息子たちのためだけに専用の練習スペースを設置!!!
放課後から夜9時まで、兄・連さんと晴選手は徹底的に投げ込みを繰り返しましたというエピソードがあります。
技術だけでなく、精神面の成長も重要視する吉史さんの教えは、晴選手の基礎そのもの。
現在は「リンクシステム」の代表取締役として会社を牽引しつつ、変わらぬ情熱で息子たちを見守っています。
父として、指導者として、そして人生のロールモデルとして、吉史さんの背中は晴選手にとってかけがえのない存在。
「父の教えがあるからこそ、今の自分がある」と晴選手が語るように、父の存在は晴の野球人生の屋台骨なんでしょうね。
樟南高校での兄弟バッテリー:熱き青春の軌跡
高校野球の名門・樟南高校では、松本晴選手は1学年上の兄・連さんと“兄弟バッテリー”として活躍し、プロスカウトの注目を集めました。
中学から続く息の合ったコンビネーションは、チーム内でも信頼の的。
2年夏の鹿児島大会では、準々決勝で9回2死までノーヒットリレーという快挙を達成。
準決勝では現プロ野球選手・羽月隆太郎との熱戦も展開し、惜しくも敗れるもその試合は今も語り草です。
高校時代の晴選手は、キレのある高速スライダーと冷静な制球力で相手を翻弄。
猛暑のなかでも決して妥協せず、グラウンドに立ち続けたその姿勢は指導陣からの信頼も厚く、3年時にはプロ注目の左腕へと成長しました。
兄との絆、厳しい練習環境、そして挑戦の場だった樟南高校時代は、彼にとって“青春そのもの”。この経験が後の飛躍への土台となったのでしょう。
プロを目指す強さの裏にある「家族という最強のチーム」
いかがでしたでしょうか。
母の笑顔、父の厳しさ、そして兄弟の絆──松本晴投手の成長には、家族という“最強のチーム”の存在がありました。
大学時代に経験したトミー・ジョン手術は選手生命にも関わる大きな試練でしたが、母の明るい言葉が心を癒し、父の練習環境が支えとなり、兄との二人三脚が前向きなリハビリへと導きました。
大学最終年には見事に復活を遂げ、3勝を挙げてドラフト候補へと返り咲いたのです。
「家族の支えがなければ、ここまで来られなかった」と晴選手が語るように、その存在は彼の野球人生においてかけがえのないもの。
特に母・久里さんは「ソフトバンクのエースになれる」と息子の将来を信じ続け、家族全員が晴投手の夢を共有しています。
苦難を乗り越える力と、挑戦を続ける強さは、まさに“家族からの贈り物”。これからも晴選手は、家族の想いを胸にマウンドに立ち続けるでしょう。
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