プロローグ:
「お父さん、重信慎之介って引退したんだって?あの足速い選手でしょ?」
「そうだな。巨人で10年、縁の下の力持ちとしてずっとチームを支えてたんだ。2025年の秋に、静かにスパイクを脱いだんだよ。」
「なんかさ、スターじゃなかったけど、印象に残ってるなぁ。守備と代走のとき、テレビでよく見た気がする。」
「そうだな。今日は、彼の歩みを一緒にたどってみようか。野球の華やかさとは違う“本物のプロフェッショナリズム”を学べるかもしれないぞ。」
入団背景と初期キャリア

提供元:日テレNEWS
重信慎之介は、1993年4月17日生まれ、千葉県出身。
早稲田実業高校では1年秋からレギュラーを張り、早稲田大学でも1年春からベンチ入り、4年時には六大学で首位打者を獲得したエリート選手だった。
2015年ドラフトで巨人から2位指名を受け入団。
プロ1年目の2016年には早くも68試合に出場し、24盗塁を記録。
俊足を武器に1軍の戦力として台頭した。
息子にはよく「打てる選手がすごい」と言われるけど、プロで結果を出すには足や守備という武器も大切なんだと教えたい。
重信のように“自分の特長で勝負する”姿勢は、派手じゃなくても一流。
技術や努力が評価される世界を、息子に知ってほしい。
キャリアのピーク:2019年~2020年
2019年、重信はキャリアハイとなる106試合に出場し、打率.266、2本塁打、14盗塁を記録。
チームがセ・リーグ優勝を果たしたこの年、彼は終盤戦の代走や守備固めとして非常に重要な役割を担った。
2020年も102試合に出場し、自己最高の打率.274をマーク。
スタメン出場も増え、攻守走の3拍子揃った万能型選手として定着しつつあった。
重信のように、努力と結果が重なって評価される時期は、選手にとって何にも代えがたい誇りだと思う。
息子には「与えられたチャンスをどう生かすか」が勝負だと伝えたい。
どんな役割でも本気で取り組めば、野球は必ず応えてくれる。
成績の低迷と出場機会の減少
2021年以降、出場試合数は減少傾向に。2022年は開幕一軍を逃し、二軍戦で死球を受けて昇格が6月にずれ込み、打率.216と不振に陥った。
2023年は67試合で10盗塁をマークするも、2024年には33試合の出場にとどまり、終盤には故障でチームを離脱。
「9年間で一番悔しいシーズンだった」と本人が振り返るように、状況は厳しかった。
成績が伸び悩む時期こそ、本当の人間力が問われる。
それでも腐らず努力を続ける重信の姿勢に、胸を打たれる。
息子には「苦しい時期も野球を諦めるな」と伝えたい。
光が当たらなくても、努力は必ず誰かが見てくれている。
戦力外通告と引退の経緯
2025年10月6日、巨人から戦力外通告を受けた重信は、その後現役続行を模索するも、オファーは届かず。
11月6日にInstagramで引退を発表した。
YouTubeでの会見では「成績を残せず、環境を模索することもできなかった」と正直な心境を語った。
潔い引き際というのは、どの世界でも美しい。
重信のように“納得のいく決断”ができる選手は少ない。
息子には「勝ち逃げ」ではなく、「納得のいく終わり方」を目指してほしい。
プロとは、最後の振る舞いまでが美しいべきだ。

特に注目すべきは、通算70盗塁(記録差異で69とも)という俊足の武器。
試合後半の代走起用時には常に相手投手と捕手にプレッシャーをかけていた。
ホームランが目立つ時代に、盗塁で存在感を示し続けた重信のような選手は貴重だ。
息子には「走ることも攻撃だ」と伝えたい。
数字だけでは見えない貢献こそ、チームスポーツの本質だと思う。
引退後の道と期待
今後は、車関連の事業立ち上げを構想しつつ、SNSなどを通じて発信を継続予定。
また、野球界への恩返しのために指導者や解説者としての道も模索している。
巨人関係者の間でも、重信の知性や人間性を高く評価する声があり、将来の指導者候補として期待されている。
引退後の姿勢こそ、その人の本質が現れる。重信のように「学び」を次世代に繋げようとする姿勢に、共感しかない。
息子にも「自分の経験を人に活かせる人間になろう」と伝えたい。
野球人生は、現役が終わってからが本番だ。
最後に:重信慎之介の野球人生から学ぶこと
重信の10年は、派手なヒーローではなかったかもしれないが、チームのために己を捧げた本物のプロフェッショナルの道だった。
彼の野球人生が終わった日、多くのファンがSNSに「ありがとう」と投稿した。
この物語は、息子にとってもきっと“本当の勝者”を考えるきっかけになるだろう。
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